寿司の愉悦ネタ

書き残しておく必要がある

古巣へ

2月の頭、元職場の塾長から連絡が来た。

要約すると、"塾生から🍣先生(わたし)を卒業式に呼んでくださいと要望が出ています。都合が会えば来てくれませんか"という内容だった。

 

(元職場であった学習塾は、塾にしては珍しく卒業式を執り行う。

これ言うと特定されそうだけどまぁよかろう。)

 

2年前に退社したとき、当時中1だった塾生から"自分達の卒業式をやる時は来てくださいね"と言われたことを覚えていた。

その時は半分リップサービスのようなものだろうと思っていたが、この時期に言われたら行かない訳にはいかんよな、と休みを取って参列した。

 

およそ1年半ぶりにスーツに身を包み、かつて仕事で使っていたルートを通り、元職場である校舎へ赴いた。

校舎へ入ると、前職時代に一番お世話になった上司が教室で準備をしていた。退社してから何度か連絡は取っていたが、顔を合わせるのは最終出社日以来であった。

 

私が退社してからの2年間の話をしながら、式の準備を手伝った。

参加する塾生・スタッフの名簿に目を通す。

初めて見る名前がちらほらいる。良いことだ。

私が1年目に指導していた塾生が学生スタッフとして働いており、思わぬ再開も出来た。嬉しかった。

同時に見慣れた名前がいくつかないことにも気付いた。少し寂しくなった。

中には定期的に連絡を取っている子もいたので、てっきり通い続けるものだと思っていた。

上司も多くは語らなかったが、退塾の理由は何となく想像がついたので私も深くは聞かなかった。

 

式の時間が迫り、塾生が教室へ集まってくる。

かつて毎日のように顔を合わせていた塾生たちだったが、2年という月日は10代にとってあまりにも大きいものだと感じた。

当時の面影が残っている子。

成長期を体現するかのごとく背が伸びた子。

お前マジで誰だ!?と言わんばかりに見た目が大変身した子。(実際本人にも直接言った)

塾生1人1人にこの2年の歩みがあり、物語があったのだろう。

 

この間ポロッとツイートした、コンビニでバイトしている元塾生に会うこともそうだが、こういった節目や意図していないところでの再開は教育職の妙だよな、と実感した今日だった。

本当は1人1人とゆっくり言葉を交わしたかったが、時間も限られていたので断念。

当たり前だが大抵の場合はこれが今生の別れになるんだよな、と改めて考えるとやっぱり寂しいものがあった。

 

 

なんか落とし所がよくわからなくなってしまったけど、あれだけやいのやいの言っていた元職場だけど、たまに顔出すくらいなら悪くないなと思いました。

あとこうやって誰かの記憶に残っているのを実感できるのって、結構嬉しいなって。

 

 

今日はつかれたのでもう寝ます。おやすみなさい。